毎回単身で渡米。周囲は米国人ばかりの環境の中、自らのコンサートと共にトップアーティストと交友し更なる研鑽を深めております。

米国での活動報告~2019年12月

今回はJ.F.ケネディ国際空港をはじめて利用しましたが、エアトレインで着いた先ジャマイカ駅には"多くのジャズの伝説を生んだクイーンズ"いうボードとともに30数名のあまりにも偉大すぎるクイーンズが生んだジャズ奏者、知られたところではルイ・アームストロング、トニー・ベネット、エラ・フィッツジェラルド、ジョン・コルトレーン、ベニー・グッドマンらが表示されています。ジャマイカの町は正直路上のゴミが目立つさびれた町でした。ここからE線の地下鉄でマンハッタンまで9駅30分。地下鉄内でもサックス奏者の演奏がいきなりはじまり、音楽三昧の日々素晴らしい始まりとなりました。

滞在初日には日曜であることもあり、オシニング第一長老派教会(プロテスタント)様にてクワイヤ(聖歌隊)に参加させて戴きました。音楽監督はコートランドパフォーミングアーツで長年講師を務められ、ブロードウェイでも活動されたキャロル・アルッチ女史。充実した6曲歌唱となりました。また礼拝後には会衆リーダーのトム氏より"本日のゲスト"としてご紹介頂きました。最近では有名なジョシュ・グローバンもゲスト出演したこの素晴らしい聖堂で歌唱させて戴き感謝の限りです。

 

午後はヘイスティングスオンハドソンのWestchester Hills墓地(ユダヤ教の墓地です)に眠るジョージ・ガーシュウィンの墓参を行い、墓前でSummertime歌唱させて戴きました。同墓廟には兄で作詞家のアイラ・ガーシュウィンも眠っています。

2日目、前回の滞米時に面会できなかったオシニング市長のデーナ・リーヴェンバーグ氏を訪問。前回お土産にさせて戴いた紙風船を飾っていただいておりまず感動。 すごく気さくな女性で、その上すごい美人でした。日本にはまだいらっしゃったことはないですが、矯正展の事や松阪市・明和町等についてご紹介させて頂きました。 お土産には驚きのシンシン刑務所のTシャツ他を戴き感謝感激です。

3日目、修道会にてコンサートを開催して戴きました。今回は近日のローマ教皇訪日のテーマソング"Protect All Life"もご紹介させて戴きましたが、やはり一番人気は"日本的な楽曲の数々。特に京都慕情やふるさとには感涙される神父様もいらっしゃいました。お一人お一人の経歴を知ると恐れ多い数多い聖職者の皆様にご参加いただき、今さらながら本当に感激感謝しております。

 

午後は東京ドームの13倍、東京ディズニーランドの1.5倍の面積を誇るヴァルハラのケンシコ墓地に、偉大な大作曲家セルゲイ・ラフマニノフの墓参を行いました。同墓地には野球選手ルイ・ゲーリック、ブロードウェイ興行主フローレンス・ジーグフェルド、女優アン・バンクロフト、俳優でユニセフで活動されたダニー・ケイ、メトロポリタンオペラのスター/ロバート・メリル、ビヴァリー・シルズ、偉大なジャズ奏者トミー・ドーシー、脚本家バディ・チャイエフスキーらが眠っており、一部の方の墓参が叶いました(日本の歌曲を録音されたチェロ奏者エマヌエル・フォイアマン氏の墓参はまた次の機会に....)。

その後については日付は失念致しましたが、マンハッタンではいつもどおりNY CITY JAZZ Underground(厳しいオーディションを勝ち抜いた精鋭ぞろいです。しかも地下鉄構内などの演奏で無料です。)の演奏を楽しみに...今回はRobert Anderson Jazz Bandの演奏を聴く事ができました。

その後ジュリアード音楽院、ホテルチェルシー(かつてエンリコ・カルーソーが滞在し、セックスピストルズのシド・ヴィシャスが愛人ナンシーを殺害した舞台でもあります)、ヴェルディスクエアを訪問したのち....革靴しか持参せず残雪&落葉の道を5kmも歩いたのがいけなかったのでしょう。セントラルパーク西で転倒...負傷してしまいました。 しかし近くを歩いていた米国人女性達のおかげで救急車を呼んで頂き、コロンビア大隣接のマウントサイナイ医療センターのERに運ばれる事に....。

不思議なもので全く不安はなく、マンハッタンの数カ所で診療所を運営される形成外科医のDr.Ken Roseの治療のおかげで全く痛みなく無事戻る事が出来ました。

※米国の医療費は非常に高額であり、全体で日本円で61万円、救急車の費用も6万円ほど...かけておいた保険に救われました。また医師が患者の車椅子を引いて治療にあたる御姿も斬新でした。

 

その後の活動は周囲の皆様にも心配頂き、"残念だが、キャンセルしたい"と前日まで言っていたものの、各所での案内掲示等、大変期待頂いていたようで"マスク着用でもよろしいですか"とお断りした上で2日後コンサート第二弾務めさせて戴きました。

日本語をほとんどお話にならない神父様が"琵琶湖周航歌"をすらすらとお歌い戴き、またある高齢のアダム神父様からは"城ヶ島の雨"をリクエスト頂きました(次回への宿題となりました)。 やはり言葉は違えど音楽のパワーを改めて感じさせられました。

本場の音楽に数多くふれさせて頂き、これまで自らではフルパワーでやってきたつもりでしたが、改めて感じると"のどのケアに重点を置きすぎ、持てる力の8割も出してステージに臨んでいただろうか?"と感じさせられました。 この刺激を常に忘れず益々邁進して参る覚悟です。 石崎旭

アメリカ公演を終えて 2017 石崎旭

 

今回の滞米では非常に実りある公演&体験をすることが出来ました。

何といっても本場のアーティストとの共演があり、これまでないほどの数の日本のポピュラーを紹介する機会に恵まれました。

昴は英語で何といいますか とか、私は著名なフルーティストJames Golwayの日本の歌のアルバムを愛聴しています等色々なご意見・ご質問戴きました。そして何より素晴らしい楽曲を日本に持ち帰れたことに感謝しております。 かつて師匠に教わった歌の原点「旨く歌うより、伝えよ」の精神を改めて実感致しました。

そして最終日にはオシニング市長ヴィクトリア・ゲアリティ氏訪問のため、市役所を訪れました。 四日市市の万古焼と多くの四日市市のパンフレットを持参し地元のPRにも励みました。 オシニング市役所はアメリカらしく無駄のないコンパクトな施設で、ちょうど結婚式をあげるカップルとも遭遇しました。オシニングスーパーバイザーのデーナ・レヴェンバーグ氏とも面会予定でしたが、双方の都合がつかずオフィス訪問に留まった点は残念でした。

 

セント・テレサ・レジデンスでは日本でかつてご活躍なさった修道士の皆さまから絶賛戴き、「私の母はかつてアーティストでした。だから私は幼少期から音楽に親しんできた。それにしても貴方は素晴らしい!」と言って戴き感謝です。

オフの日にはデューク・エリントン、ビリー・ホリディ、ジェームズ・ブラウン等偉大なアーティストの史跡も訪問させて戴きました。

言葉では伝えられない感動を日本に持ち帰り益々邁進して参ります。

 

一人でも多くの方に生歌を聴いて戴けますように。

アメリカ公演を終えて 2016 石崎旭

 

7カ所でマイクを握らせて戴きましたが、改めてアメリカの方々の柔軟性に感銘を受けました。

帰国後、様々な方から

「やっぱり英語の歌、歌って来たの?」と質問されますが、8割方日本の誰もが知る叙情歌を歌って参りました。「歌詞の意味は解らないが素晴らしい!」と多くの聴衆の方に言って戴けたことは歌い手冥利に尽きます。

 

ふるさと おぼろ月夜 荒城の月 千の風になって... このあたりは大好評でしたね。 (千の風になっては米国でもDo not stand at my grave and weepと言えば皆さん解っていただけますし...)

在米の日本人の修道女の方達は涙、こぼされる方も....

 

 不肖私の歌がそれほどの威力を持っているとは...こちらこそ感動です。

 

そして何よりも修道女(日本で生涯の半分以上を過ごされたマサチューセッツ州ローウェル出身の方)のWake(日本で言う通夜)、Funeral(葬儀)で歌わせて戴けたのは感動的でした。(最上部の背景写真がご家族と数人のシスター方と写したものです。4人の素晴らしい甥御様、お若く美しい妹さん...素敵なご家族でした。残念なことに素晴らしい写真家でもいらっしゃった左から2人目のSr.ポーリン・スティッカは2018年12月鬼籍に入られました)

何よりもご遺族の方達(シスターの甥)から

はっきりとした日本語で「一番(Ichi-ban)」のお言葉戴いたのは何より嬉しかったですね....

 

やはり音楽、歌は世界を一つにする! 痛感致しました。

今後も世界平和、全ての人々に光りを!の精神で益々まい進して参ります。

 

 

今後ともご支援ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。